個人研究として、私はふと現在の産業ってどうなっているんだろうということをやってようとおもい、一応一年間やって来ました。まず、これまでの歴史をみて、今に至る仕組みを理解し、そしてこれからどのような産業が伸びて行くのか、また更にその先を読むにはどうしたらよいかをベンチャー企業を中心に考えてみました。後半は、かなり個人的意見が入っています。ですから、それは違うんじゃないのと思うこともあると思います。でも、将来の事ですからいろいろな憶測があって、その一つである事と思って下さい。そして、多分皆さん数年後には、就職活動することでしょうから、その時のほんの少しの考える要因になってくれたらよいかと思います。
まず、産業には、その歴史と栄枯衰退がありました。現在の日本の産業のほとんどは、第二時世界大戦後からの出発でしょう。ここの地点から、再出発しました。
これから考える視点を人気業種の移り変わりにしてみます。 その時代のニーズが大きければ、そこには需要が存在し、供給を待つ状態がうまれる。
本来、地味であるべき産業業界については
と、年代はランダムにならべいますが、いろいろな業界があります。
ここで言える事は、これらは全て日本行政の方針の影響をもろに受けている事です。そして、全てその最盛期を終えてしまった業界です。いや、また次の最盛期がくるかもしれませんが。
日本の産業が海外との連携である輸出入のアドバンテージに、船による輸送費の安さがある。船による輸送運搬には、日本は周りを海に囲まれているので非常に都合が良い。
例えば、東京から大阪まで一つの宅急便を送るとすれば、どれだけの費用がかかるだろうか。正確な金額はわからないが、約千円くらいだろう。それでは、日本と地球の反対側のブラジルに荷物を船によって輸送するとすれば、費用はどれくらいだろうか。もちろん、その輸送量と時間は大きく違うが、約百円で費用が済むそうである。いかに船を用いて輸送する事が、輸送経費がかからないか。
であるから、内陸に炭坑を持ち鉄道で輸送する以前のやり方より、すぐに船に積み込むことができるオーストラリアのようなやり方の方が、絶対的に有利な訳である。
船による輸送は、時間がかかるが費用が安い。であるから、輸送時間を急がない産業は、海の近くに工場を設立することが多い。そのため、物量の多い輸送を必要とする産業などは、海の近くに工場やコンビナートを作る傾向がある。
現在では、欧米の経営体制が日本にも浸透してきたが、日本には独自の経営形態の特質があるという。これに関しては、いろいろな分野で研究されている。日本的経営の特質として次のような語句がある。(終身雇用、年功序列、稟議制度、経営家族主義、タテ社会)。これに対し欧米のような経営体制は、能力主義、年俸制、といった、個人の労働が即リターンされる体制である。一概に、どっちが良い悪いとは言えず、一長一短である。これまで、日本経済が発達したのは、日本経営体質のメリットが生かされた証明であるし、国民総中流社会意識であるのは、そのデメリットでもある。
日本がどうしてこれまでお金持ちの国と言われいるのでしょうか。 実は正直のところ、ただの実力で今の経済大国になったわけでもないのです。 あくまでも、外国との貨幣の相対的な価値が現在有利であるだけだったりします。 日本はご存じのとおり資源が貧弱な国です。特にエネルギー関係の資源がありません。石油は喉から手が出る程ほしいです。だから、戦争によって、南の国の資源のある土地を欲しがりました。皮肉にも太平洋戦争の時、軍艦大和は石油がなくて、帰りの油がありませんでした。結果的には、走行途中でぶっ壊されたのでその必要なかったようですが。 現在の日本の経済は殆ど戦後からの再スタートです。この頃アメリカは、ジェントルマン精神で、日本経済の復活と民主主義の精神を与えました。米国は、この頃、とっても強かった。なにが強いかいえば非常に金持ちだった。 日本の円と米国ドルとの比率を360円にした。それは、円は一周360度だからという、洒落た思いつきで決めたようである。 こうして、円とドルの関係ができた。これを決めたときは、日本にとってはよかった。日本が経済を建て直して来て、外国に輸出するようになると、この比率は、輸出するのは有利で、輸入するのは不利であった。こうした中、日本は、資源がないから資源を輸入して、それを加工して輸出していくようになった。 でも、それがだんだん輸出で儲けるほうが多くなってきた。そうなるとこのままじゃ、米国は1ドル360円じゃやっていけないからといって、変動相場制にしてしまった。そしたら、どんどん1ドルが円より価値が低くなってきた。それで、現在ドルは価値が下がりつつあるのです。 日本は、資源がないから輸入しなければなりません。 輸入するには、外貨が必要です。 外貨を得るために、物を作り、外国に輸出します。 そして、資源をまた輸入します。 仮に、日本がここ50年鎖国していたらどうだったでしょうか。現在のような繁栄はなかったでしょう。ですから、現在の日本は外国あってこその日本なのです。
こうして、ざっとこれまでの産業というものを見て来ました。では、現在の形態はどうなっているのでしょう。
今後、社会的ニーズの高まりとともの成長する有望な産業として、次のような5つの分野がある。
成熟経済期に入った日本経済の成長軸は、ソフト化(R&D型)、サービス化、地域定住化(地方ニーズ型)のほか、アジアとの国際的かかわりなどを重視すべき点に移ってきている。地域や地方に根ざしたベンチャー企業の成長と発展の必要性が痛感される。
大きく成長が見込まれる産業として、94年3月に「新規市場創造プログラム」と言うものを発表した。
それによれば、将来の有望分野として
の8つがあるとされる。
現在のような、景気が落ち込み、これといった対策がない時代ほど、ベンチャー企業は景気の回復のための原点となる。不況期こそベンチャー企業誕生のチャンスである。それは、既存の市場が飽和的な状態である時、潜在市場の発掘の意味をもつ。そのため、日本国としては、現在不況に陥っている日本経済の再生の施策の有力な一つとして、米国を模範とした、ベンチャー企業が成長しやすい環境、政策、金融システムを構築中である。
ベンチャー企業を平たく言えば、現在におけるハイテクをビジネスに創業した企業を言う。
米国と日本では、ベンチャー企業の成功例数は、雲泥の差である。それは、単に文化や知識の能力差ではなく、両国のシステムに違いがある。すなわち、米国には、ベンチャー企業が育つ環境が充分に整っているのである。
その第一の要因として、資金調達法である。米国はベンチャー企業が資本調達が容易なナスダック(株式市場のようなもの)というものがある。しかし、日本には銀行からの借り入れという、ある面信用が育つまで非常に時間のかかるシステムしか存在しない。
次に環境である。米国には、ハイテクのかたまりであるシリコンバレーがある。ここには、技術が集約され創業するビジネスにとってチャンスがごろごろしているという。
米国で創業した会社が成功し、株式上場する平均年数約6年であるのに比べ、日本の代表的なベンチャーの成功例のソニーや本田技研でさえ、12〜13年かかっている。
こうした環境を考えるとき、シリコンバレーは理想の創業環境であるという。
このようなベンチャー企業支援環境の象徴的に存在が、カリフォルニアのシリコンバレーである。シリコンバレーはカリフォルニアのスタンフォード大学を中心とした一帯で、研究機関、ベンチャー企業、ベンチャーキャピタル、コンサルタントなどが集中している。企業を志す人間はベンチャーキャピタルとたやすく接触できるし、創業後、会計士、弁護士、コンサルタントなどの協力も簡単に得られる。
また、オフィスも簡単に借りられることができ、人材あっせん・派遣会社を利用すれば人材の確保も容易にでき、プロトタイプや製品を作る生業業者も多くいるなど、まさに企業家にとっては理想的な環境となっている。
ベンチャーキャピタルにとっても、同業者や研究機関との情報交換をたやすく行う事ができる。このような環境のもとで、いくつかの米国を代表するハイテク企業がうまれたのである。
このような環境を早く日本にも望みたいところである。
米国では、大学や研究機関と企業との協力関係も密接である。大学の研究者が自己の研究結果を事業化したり、ベンチャー企業の立ち上げに協力することが積極的に認められているのである。これは、1960年代の学生運動の影響もあって、いまだに産学協同に対するアレルギーが残っている日本との、大きな違いである。
また、米国の精神の背景に資本主義精神があるという。
これから成長していくような産業、ビジネス、ベンチャーなどを予見する事は、大変に難しい事ですです。その能力ともいうべき先見力、洞察力は、そのままビジネスなどの成功に直結します。では、このようなことを考える視点は、どのような視点であるのでしょうか。
先を見るには、過去から学ぶ点が多々あります。例えば、ごく身近なことを考えると、一年間の部会活動の流れがありますが、今から来年度一年間の計画を考えるとき、まず今までこの部会は、何をやって来ているのだろうかと、参考に資料を見るでしょう。この場合は、一年間という期間で過去を見ましたが、歴史(過去)を見るとき、もっと多様な期間で眺める事が出来ます。
それにより、より様々な視点から歴史を参考にして、将来はどのようになるのかということを予見する知恵が出て来るでしょう。
バブルの崩壊という社会現象を我々は目の当たりにしました。このような現象は、過去にもオランダのチューリップの球根の市場などで、かつてあり、
また今後もこのようなバブル現象が現れることも有り得ます。現在、世紀末といわれますが、19世紀の世紀末の時も、カルト宗教が存在し、社会を混乱させたという現象がありました。即ち、過去に起こり得た現象は、今後も同じような状況が作りだれささば起こり得る可能性があることであり、歴史を学ぶ事により将来を予見できるということになります。
では現在、爆発的なコンピュータブームであります。この現象をどう捉えるでしょうか。まず、この現象が永久に続く事はあるでしょうか。
現在の日本は非常に物資に恵まれ、第一次産業や第二次産業を越えて、第三次産業の充実の方向にむかっています。コンピュータというのは、この第三次産業のカテゴリーを越えて、第四次とさえ言われています。
戦後、幾つかのブームがありました。例えば、石炭、繊維、鉄鋼、自動車が栄え、現在のサービス関連産業です。こうして考えたとき、先見力のある人はコンピュータブームはいつ終わるのかと予測するのでしょうか。私も、その点を非常に知りたいところです。
恐らく、今後もコンピュータやソフトウエアやマルチメディア関連のベンチャービジネスが出て来るでしょう。しかし、それもいつかは事業に失敗する会社も現れて来るかもしれません。
我々がそうならないためにも、自分の偏見でない、社会の動きを冷静に捉えられる力が必要でしょう。
それでは、現在では非現実的かもしれないが私が思うところを申し述べます。
情報媒体(ノート、フロッピーディスクなど)はいろいろと存在しますが、昔から「紙」が大きな主流を成してきました。現在でもこの紙という媒体をなくして社会は成り立ちません。
コンピュータが発達して、電子磁気媒体が登場してきました。その発達は非常にめざましいものがあり、単位面積当りのデータ保有率は指数関数的に日々増加して来ています。しかしその技術もいつかは行き着くでありましょう。それは所詮、二次元の世界であるからです。ならば、次のドラスティックな展開を考えたらどうなるでしょうか。半年前であるが、ある大学研究室によれば、ある技術の一端を発明したという記事がありました。それは、三次元的に情報を保有する技術であります。
話はがらっと変わるが、我々の歴史は北京原人だったかジャワ原人だったかから始まったと文部省検定による中学の教科書は教えています。しかし、これがこの地球にそれ以前に人間の文化がなかったという証明にはにはなりません。
今でもこの話をすれば、変人扱いされるが、アトランティス文明やマヤ文明、ムー大陸の時代は、個人的にははあったと信じています。
今の常識が必ずしも真実ではない。それに関しての面白いエピソードに、我々は、当時のガリレオが真実を言っていたのに、まわりの人々から変人扱いされたというものがありあます。
現在、ダイヤモンドは装飾品として存在します。その存在価値は、単に奇麗なものとしての価値でしょうか。昔から、ダイヤモンドや水晶は存在し、非常に貴重なものとして扱われて来ました。マヤ文明の遺品にも水晶の玉は存在しています。
述べたい結論を言いますと、
「ダイヤモンドは、昔から情報媒体として存在したのではないだろうか。水晶は、巨大なデータベースとしてあったのではないだろうか。」ということを否定はできないだろう。
そうなれば、現在我々の文化、技術レベルなどは、まだまださしたるものではない。
要は、現在の我々の常識が、絶対的な真実や最善ではないこと、我々の技術や科学のレベルとは、まだまだ発展途上であることを心得たいし、これから先は多種多様な思いもつかない可能性が待ち受けているといえるのでないだろうか。そして、その変革の時にこそ、産業の発展があり、ビジネスチャンスがあるのである。
結局は、社会で生きて行く際に、理想としては(現実的に全て正しい人などいるのだろうか?)いかに正しい知識と認識と先見性をもって、やって行くかと思う。
出来るだけ、他の文化や生活習慣を理解し、自分と違うものに対しても認めるだけの精神的な余裕があるかなど、実際に行動する前に、理解することがたくさんあるだろう。
日本だけが繁栄していくのが、本当の目的ではない。そうなれば、他国からの不満が現れ、交流が行き詰まり、互いの幸福にはたどり着かないだろう。日本は、外国なしには生きて行けない国である。だから、他国の文化を理解することは、日本にとってはなくてはならない死活問題的な知識や技術である。
今後、世界の諸外国との連帯が不可欠な世界になるのは言うまでもない。
これからは、中国が世界的な巨大市場となるのはいうまでない。これは、大きなレンジでの歴史の潮流からも明らかである。すなわち、日本がちやほやされる時代は終わった。
日本として、今後生き抜いて行くためには、ランチェスター法則などもいっているように、独自の得意分野など、日本でなくてはならないようなものをしっかり確立いかなければならない。
以上 (担当:滝口直史)